IQOSの加熱式たばこはより安全? 18%の計算

IQOSや他の加熱式たばこデバイスをめぐっては、2つの神話が大きな役割を果たしている。1つ目は、デバイスが紙巻きたばこより汚れが少なければ、昔の問題はもうほぼ片づいたというもの。2つ目は、においが弱ければ、習慣そのものも軽くなったというもの。
神話1: 安全なら問題ない
この神話を信じやすいのは、デバイスの見た目がきちんとしているからだ。灰皿はいらない。指ににおいが残りにくい。ポケットの中のつぶれた箱ではなく、机の上に充電器がある。27年間吸ってきた私には、それが前進に見えた。
でも、数字はそれほど慰めにならなかった。ニコチンの吸収は、届け方によって変わる。紙巻きたばこは約10%。加熱式スティックは約18%。その数字がデバイスを怪物に変えるわけでもないし、紙巻きたばこを良くするわけでもない。ただ、魔法を解くだけだ。よりきれいな儀式であっても、やはりニコチンの儀式であることに変わりはない。
切り替えたとき、私は一段階下がったつもりでいた。やめたわけではない。まだ、ほど遠かった。でもそのデバイスは十分に現代的で、自分に向ける言葉までやわらかくする気にさせた。そこが最初の罠だった。
神話2: においが少なければ習慣も軽い
これは最初の神話以上に私に効いた。煙は公的だ。自分の存在を知らせる。カーテン、車のシート、ジャケット、手にまで残る。加熱式たばこは、その習慣を静かなものにした。その静けさが、コントロールのように感じられた。
オフィスでは、紙巻きたばこは必ず休憩になった。立ち上がって、デスクを離れて、行き先を見つけて、少しの恥も一緒に持って行かなければならなかった。加熱式スティックは、その摩擦の一部を取り除いた。キーボードのそばに、仕事道具みたいに置けた。メールの合間の数分で足りた。通話の前のひと息で足りた。習慣は小さくならなかった。隙間を増やしただけだった。
だから、切り替えたあとに使う量が増えた。ひとつの道具に魔法の力があったからではない。手を伸ばすたびの目に見える代償が下がったからだ。部屋のにおいも同じではなかった。同僚も気づきにくくなった。私自身も、気づくことが少なくなった。
においが少ないことは、依存が少ないことと同じではない。むしろ、見なくてはいけない本人から、その依存を隠してしまうことがある。
神話3: ハームリダクションは出口になる
加熱式スティックはハームリダクションだ、という言葉は、私には落ち着いて聞こえた。まともな大人の判断のような響きがあった。たばこに火をつけることと比べれば、そのデバイスは小さな問題に見えた。すると、小さな問題は、私の頭の中で静かに解決済みの問題になった。
そこが神話の曲がるところだ。軽減は出口ではない。同じループの、においが少し弱い版であっても、やはり同じ動きを体に覚え込ませる。ストレス、手、デバイス、安堵、繰り返し。ニコチンはまだ脳に、「気持ちよかった、もっと欲しい」と伝えてくる。体は、使わない時間のすき間を、不安、いら立ち、空虚として読み取る。すると次の一回は救いのように感じられる。実際には、前の一回が生んだ不快さに答えているだけだとしても。
私は、IQOSに反対するキャンペーンとしてこれを書いているわけではない。私がなぜそれを選んだのかは、よくわかっている。部屋の汚れを減らしたかったし、習慣にまつわる見苦しさも減らしたかった。何十年も経てば、小さな散らかりは救いに見える。
でも、救いは自由ではない。
業界は、同じ扉に別の名前をつける方法を知っている。紙巻きたばこ、スティック、ベイプ、ニコチンポーチ。どれも新しい表面を差し出しながら、古い中心はそのまま残す。中心は、ニコチンを残し、リズムを残し、ただ見た目だけをもっと受け入れやすくするための小さな取引だ。
私にとって加熱式たばこの問題は、完璧な健康製品になれなかったことではない。問題は、習慣と折り合いをつけやすくしてしまったことだった。十分な安心感を与えて、ほんとうに考えるべき問いを先延ばしにさせた。
もっときれいなやり方で同じシステムの中にとどまりたかったのか。それとも、外に出たかったのか。
その問いのほうが、別のどんなデバイスよりも私に効いた。指示はくれなかった。ただ、私が立っている部屋をはっきり見せてくれた。それが見えた瞬間、より安全そうに見える選択肢は、もはや行き先には感じられなくなった。
これは計画ではないし、計画であることを意図してもいない。計画の手前、きれいに見える罠がようやく見えてくる、その瞬間の話だ。


