1日40本吸っていたヘビースモーカーの習慣

灰皿はまたいっぱいになっていた
月曜の夜、家でタバコを吸っていた小さな部屋の灰皿を空にした。寝るころには、またいっぱいになっていた。大げさな出来事ではない。鏡の前で咳き込むこともない。家族と言い争うこともない。ただ、灰色の灰、曲がったフィルター、そしてガラスに指で残した小さな埃の筋があるだけだった。
奇妙だったのは、私が何も反応しなかったことだ。
20年前なら、いっぱいの灰皿は目障りに見えたはずだ。20年もたつと、それは家具みたいに見えた。ライターはキーボードの横にあり、タバコの箱はその隣にあった。冬でも窓は少し開けたままだった。セーターには匂いが染みつき、家の誰も何も言わなかった。もうその匂いは部屋のものになっていたからだ。
その時点で、私は27年吸っていた。始めたのは19歳のときだ。ひどい時期には、1日に40本ほどに達した。妻と私で、合わせておよそ3箱を吸っていた。私は1日1箱の喫煙者から、もっと重い習慣へと線を越えていたが、その習慣は自分から名乗り出てはこなかった。ただ、1日の形そのものになっただけだ。
いつもの火曜日
火曜日は出社日だった。私は、ほとんどの会議よりも自分の机のほうをよく覚えている。キーボード、コーヒーカップ、電話、ライター、箱。窓際で吸い、煙が部屋から消える前に仕事に戻った。同僚はもう気づかなくなっていた。それは受け入れられたように聞こえるかもしれない。でも実際には、ただ見えなくなっていただけだ。
家を出る前の1本は、選択とは感じなかった。車の中の1本もそうだ。最初のメールの前の1本、通話の後の1本、ファイルが開くのを待つ間の1本、昼食前の1本、昼食後の1本。どれも許可を求めてはこなかった。
ヘビースモーカーの習慣は、いつも騒々しいとは限らない。私のそれは静かだった。人生が崩れかけていると叫ぶこともなかった。これは普通だ、とささやき、同じことを何度もささやき続け、私がそれを聞き取れなくなるまでやめなかった。
家では、息子が隣の部屋にいた。自分の世界も、自分の音楽も、自分の予定も持てる年頃だった。私はそれでも、手に加熱式たばこのスティックか紙巻きたばこを持って窓まで歩いていた。やめる5年ほど前には、より安全だと思って加熱式たばこに切り替えていた。ところが、使う量は減るどころか増えた。匂いが違い、儀式もきれいに見えたので、自分をごまかしやすかった。
きれいなのと自由なのは、同じではない。
目に留まった細部
その週の転機は、英雄的なものではなかった。箱を握りつぶしたわけでもない。大きな宣言をしたわけでもない。ただ、小さなことに気づいただけだ。
箱から1本取り出して火をつけ、ライターをキーボードの横に戻し、メールを開いた。数分後、ふと下を見ると、指の間にはもう1本のタバコが挟まっていた。一瞬、自分で火をつけたことを思い出せなかった。
それで私は立ち止まった。
喫煙をやめたわけではない。まだだった。ただ、自動再生の流れが数秒止まった。私はその部屋を、初めて入る部屋みたいに見た。灰皿、少し開いた窓、カーテンにしみついた古い匂い、机の端に残った小さな焦げ跡。1日の大半が、タバコとタバコの間をつなぐ廊下になっていたことが見えた。
それが最初の正直なサインだった。私は何年も、禁煙を意志の強さの戦いだと考えてきた。鍼治療、催眠療法、パッチ、アレン・カーの本、ハーブたばこ、タイマー。失敗するたびに、自分こそ問題だと思う理由がひとつずつ増えていった。でもその夜、もっと静かなことが見えた。習慣が見えなくなっていたのは、私が弱かったからではなく、その習慣を中心に生活を組み立てていたからだった。
そこには違いがある。
何かが見えなくなると、正面から戦うのはほとんど不可能だ。煙を相手に空振りし、外した自分を責めることになる。最初に役立つ一手は、力ずくではない。部屋をはっきり見ることだ。
その月曜にやめたわけではない。その火曜にもやめなかった。変化は、もっと地味な一文から始まった。これはもう選択ではない。これはループだ。
そのループが見えた瞬間、私は戦いそのものを神聖視するのをやめた。出口に興味が湧いた。
これは計画ではない。ただ、背景の雑音が見えてくる瞬間の話だ。そこから、より落ち着いた進み方が始められる。


